携帯電話とケータイの違い

携帯電話とケータイの違い

 

携帯電話の呼び方の歴史をたどると自動車電話から始まり、
ショルダーホンと呼ばれる時代があり、小型化され「携帯電話」と呼ばれるようになりました。
当時は本当に電話機能しかありませんでした。

やがてメール機能が追加されカメラが標準装備になり
携帯電話向けのWEBサイトが充実し若者向けのサービスも増えました。
ここまでの機能が備わると「携帯電話」と呼ぶには相応しくなく
携帯端末(PDA)と呼んだ方が適当なのかも知れません。

 

これらの機能を若者は巧みに使いこなし、生活の一部にしてしまいました。

そして、携帯電話機能は一人歩きを始めました。

開発者の意図とは違った活用方法が良くも悪くも盛んになり
そんな流れの中でケータイ文化が生まれました。
今すでに、彼らにとって単に「ケータイ=情報端末」ではありません。



情報端末を通じての「コミュニケーションツール」として「ケータイ」と呼んでいるのでしょう。
つまり、普段の友達とのコミュニケーションから始まり

メール、プロフ、リアル、オンラインゲーム、ケータイ小説などまでを含め自分の余暇を満たす環境と接続できるツールを「ケータイ」と呼んでいると理解すると、子供達がケータイを手放さない理由も少し見え出してきます。

 

 

子ども達の持つケータイに関し、もう1点目を向けなければならないことがあります。
それは彼らの心理的なものです。

子ども達に「あなたにとってケータイとは」と質問をすると
「心の支え」「絆」「もうひとりの自分」「命の次に大切なもの」など
大人からは理解できないような言葉が飛び出して来ます。

これにはケータイを通じて得られるコミュニケーションが根底にあります。
友達といつも一緒にいられるといった感覚や、直ぐに相談できるなど、一見便利であり大切な物であるかにも思えます。




しかしここで問題にしたいことは、便利さゆえに、子供が大人になる過程で培わなければならない何かを得る機会を失ってしまっている、ということです。

ケータイがあれば「直ぐに友達に相談できる」と彼らは言います。
ケータイがなければ今度友達に会った時に相談することも
時間を問わず直ぐにメールで相談が出来てしまう。

一見便利に感じますが、これは自分で考える時間(自問自答)を持たないことに繋がっているのです。




自問自答することは、「自分とは」を考えさせ、「自己」を確認、確立していくことに繋がります。

そのことは、ひいては「自分」と「周囲」を認めることに繋がり、子供のみならず大人社会にも常に存在するいじめ問題の原因の一つ、「相手を思いやる心の不足」を生じさせない人間へと成長していくことになるのです。



便利さに隠れたマイナス面を私達大人が気づき、子供に理解させ、フォローしていかなければなりません。
それには子供達のケータイ社会を大人が先に理解する必要があるようです。







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