携帯電話は学ぶチャンスを失う

携帯電話は学ぶチャンスを失う

 

携帯電話を持つようになってから待ち合わせについての細かい約束をしなくなったといった自覚はありませんか?


駅で待ち合わせをしても「何駅の何処に何時」といった約束ではなくて「何時頃にどこの駅で」これで十分ことが足りるようになりました。
「駅に着いたら電話をする」「メールをする」といった約束しかしなくなりました。
これからの時代はこれで問題はないのかも知れません。


しかし、子供を育てるという教育的観点から見た場合にそれで本当に良いのでしょうか?

 

携帯電話を持つと、以前は待ち合わせに付きものだった「相手のことに思いを巡らせ、考える気持ち」を学習する機会を失いがちになります。待ち合わせのトラブルから学ぶことはたくさんあります。

「確認の曖昧さへの反省」「人に迷惑を掛け、申し訳なく思う気持ち」「待つことへの苛立ちや不安の心」。携帯電話を持つことによりこれらが解消されると単純に考えることもできます。
しかし、子供のうちからそれらを考えずに過ごす子ども達は、今後社会で生きていく上で大切なことを学ぶ機会を逃したまま、成長してしまう可能性もあるのです。




待ち合わせをした際に約束の時間に落ち合うことができなかった時の不安。
「自分が場所や時間を間違えしまったのではないか?」
「友達が事故に遭ってしまったのではないか?」など

自分自身の行動を振り返り、相手のことを思いやる心。
わずか数分の遅れの間にも子供の頭には色々なことが巡り大人へ成長するのではないでしょうか。

 


また、子供が大勢通う塾の前は送り迎えの車で渋滞しがちです。
親子で携帯電話を持っていれば親の車の場所を知らせることができ
「ここまで歩いて出ておいで」と電話をすると大変便利だと思います。

しかし、携帯電話が鳴るまで迎えを気にせず友達とおしゃべりに夢中になっていることが、本当に「子供にとっての良いこと」なのでしょうか?


「指示があるまで動かない」これも時には大切な場面がりますが、「相手を思う心」を教える機会を逃している場合もあります。この「心を育てる」ことに注目をした場合、迎えに来てもらう立場からすれば外で様子をうかがいながら待つ、という謙虚な気持ちを子供の内から身近な間柄で体験的に学習することは成長過程においては重要なことであると思われます。

 

 合理的でないといった考え方もありますし、昔と時代が変わり危険も多くなり子供に携帯電話を持たせる必要性も否定はしません。しかし、こんな謙虚さが薄れているが為にネット犯罪のきっかけになってしまうこともまた否定できないのではないでしょうか。「相手を思う心」は人と人が付き合う上ではとても大切なことです。

 

合理性のみを考えれば、携帯電話があるからいつでも連絡がつくので、行き先や帰宅時間を家の人に伝えて出かけなくていいのかといった問いまで出てきますが、本来子供が身につけるべきことは、携帯電話の有る無しに関わらず、共通しているはずなのです。

携帯電話の所持の低年齢化によって携帯電話を持たせる前に多くのことを教えることは不可能になりつつあります。しかし、今までの時代では知らず知らずのうちに体験的に学習できた事柄が携帯電話を持つことで学習できなくなってしまうこと。そのことを前提に、別の場面で子供が学べる配慮が大人である親には必要となってきています。


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