ネット社会の光と陰を知る

本当のこと言っていいの?

 

子ども達は「嘘をついてはいけません」「正直に言いなさい」と、常に教わっています。
作文を書くときにはいつも本当のことを書いています。小学生の作文を読むとその「本当のこと」に笑いがこみ上げてしまうこともあります。
そうしてすくすく育っている子ども達がインターネットの掲示板を利用した時、作文や日記を書く感覚で書き込みをしても大丈夫なのでしょうか?

 

掲 示板には様々なコミュニティーがあります。野球チーム別のコミュニティーもあります。同志のファンで盛り上がっているサイトに違うチームのファンが訪れる こともあります。それまでは楽しく盛り上がっていたサイトも、違うチームのファンが見ると悪口の言い合いととらえてしまう可能性もあります。




また、ある男の子の写真を見たとして、その子について思うことは人それぞれでしょう。
「格好いい」と思う人もいれば、「だらしない」と思う人もいるでしょうし「かわいい」と思う人もいるでしょう。

本人が自分のことを「格好いい」と思っているのに「かわいい」と言われれば不快に思うこともあるでしょう。本人からすれば誹謗中傷と受け止めるかもしれませんが、「かわいい」と思った人は正直に自分の感想を言っただけに過ぎません。



そしてまた、Tシャツを前後反対に着ている子を見つけて、教えて上げるのは親切なことです。
しかし場面によっては教えて上げることで恥じをかかせてしまうケースもあります。
素直に、思ったことをどんな場面でも言って良いというものではありません。
しかし子ども達は常々「正直に言いなさい」「素直でいなさい」と言い続けられています。
場面によってそれらを使い分ける判断力に乏しいのは仕方がない部分もあります。


その判断力が乏しいままインターネットを利用した時に「人の心を傷つけた」と叩かれてしまうことがあるのです。

 
上下関係や、平等に関する考え方を大人社会と子供社会を分比べてみると大きな違いがあることに気づきます。大人の世界には「嘘も方便」と言った便利なことばがあり、これを「気づかい」と美化しているとも言えます。しかしこれが悪いことかと言えば、時と場合によっては必要であり正しいとも言えます。


子供社会での平等は全てに対して均等量に分け与えることを平等としています。しかし大人社会では均等量に分け与えないことを平等とする場面は多く存在します。
給料も仕事に応じて支給されるわけです。会社の利益を均等量に人数で分け与えるのではありません。サービス業においても、お得意様と飛び込み客とサービス内容が違ってこそ平等と考えることも出来ます。これが大人社会であります。


インターネット社会はある意味大人社会であり、子供が判断する行動には反感を受けることは多々あるでしょう。それが"子供は知らない!親が教える13のポイント"でも提唱しています『次の展開を考える力』であります。これらの感性は成長と共に身につけて行くことであり、幼い内から教えることには疑問を感じます。しかし、子どもたちにも段階を踏んで伝えて行かなければならないことでもあります。



これらを子供の内に理解させるには
「本当のことを言わなければいけないが言って良い場面」と
「後で教えてあげた方が親切な場面がある」ことをイメージしやすく伝えることが大切です。



次の展開を考える力があれば暴力的な言葉や、誹謗中傷がどうしていけない行為なのか。またどんことが誹謗中傷にあたるのか。理解を示すようになり言葉使いを個々に禁止するよりも大きな効果が期待出来ます。

子供が理解し、利用するには、難易度の高い判断力が必要とされるインターネットの世界。
ネット社会に子供が入るようになる前は、成長と共に様々な場面を実際に経験し、その都度学習をしていけば良かったのですが、現代ではこれらの判断力を駆け足で教えて行かなければならない時代になったと言えます。




光と影の両面を教える

 

パソコン操作などは大人より子供の方が飲み込みは早いかも知れません。
大人が知らない内に子供は自分が必要とする操作方法などは友達から教えてもらいいつの間にか覚えていることはありがちです。しかし、パソコンにしろ携帯電話にしろ便利さの裏には危険があります。


子供にとってはそれらの便利さだけが目立ってしまって裏に隠された危険を知る機会が少ないように思えます。光の部分を教えると同時に影の部分も教えなければバランスを欠いた考え方になってしまいます。

 

例えばCDにデータをコピーする操作方法はパソコンを使う上ではデータのバックアップ方法としてとても重要なことですから教える必要があります。

ここで注意しなければいけないことはデータをコピーする技術が身に付けば著作権のあるデータをコピーすることもできる訳です。言い換えれば著作権を侵害する方法を同時に教えているのと同じことなのです。

データのバックアップを教えると一緒に著作権についても教えないと子供は身に付けた知識で悪意もなく知らず知らずの内に違法行為を犯してしまう危険性もあります。子供に何か技術的なことを教える時、または便利なシステムなどを教える時はその知識を応用して危険なことをしてしまわないようにしなければなりません。

 

光と影という視点からいえば、最近よく見かける光景で、携帯電話でイヤホンを使い音楽を聴きながら自転車に乗っている生徒も気になるところです。
両耳から音楽が入ってくると外部の音に気づきにくくなります。その環境は車のクラクションに気づきにくい状況でもあります。また、音楽を聴いている人は周りの変化に気づきにくいという点を突いたスリや傷害事件もあります。

光があれば必ず影があると考え両面を考えるよう指導をして下さい。

子供をネット社会に送り出す前に親が学ぶこと

 

インターネットにはたくさんの情報があり、それを上手く使えるようになれば生活をする上でとても便利です。しかし氾濫する情報の中には必ずしも正しい情報、適切な情報とはいえないものもあります。

ニュースで報じられる子ども達が関わるネット犯罪を見ると、子供にインターネットを使わせることに疑問すら感じてしまいます。では使わせなければ安心なのかといえばそうではありません。

 

現代では生活に直結することもインターネットを通じ供給されます。
各メーカーのサービスをはじめ役所への手続きや受験申込などもインターネットに対応しています。
なぜならコスト面とスピード面等を考えればインターネットを取り入れることがごく当然の流れなのです。
大学によっては講義の宿題をセキュリティーのかかったインターネット掲示板に書き込むことも当たり前に行われています。このような時代の流れの中では子供に使わせないといった選択肢にはすでに無理があるように思えます。


そしてなによりもインターネットは「世界へ繋がる」という素晴らしい可能性を持ったツールなのです。

 

インターネットの光の部分である利便性、可能性を知り認めること。


そしてインターネットの影の部分を見過ごさないこと。両面に目を配りそれぞれの重要性を知った上で子供にインターネット環境を与えるようにして下さい。

そして、インターネットの向こう側には自分と同じ人間である相手がいるということを大人も子供も忘れてはいけないのです。

携帯電話は学ぶチャンスを失う

 

携帯電話を持つようになってから待ち合わせについての細かい約束をしなくなったといった自覚はありませんか?


駅で待ち合わせをしても「何駅の何処に何時」といった約束ではなくて「何時頃にどこの駅で」これで十分ことが足りるようになりました。
「駅に着いたら電話をする」「メールをする」といった約束しかしなくなりました。
これからの時代はこれで問題はないのかも知れません。


しかし、子供を育てるという教育的観点から見た場合にそれで本当に良いのでしょうか?

 

携帯電話を持つと、以前は待ち合わせに付きものだった「相手のことに思いを巡らせ、考える気持ち」を学習する機会を失いがちになります。待ち合わせのトラブルから学ぶことはたくさんあります。

「確認の曖昧さへの反省」「人に迷惑を掛け、申し訳なく思う気持ち」「待つことへの苛立ちや不安の心」。携帯電話を持つことによりこれらが解消されると単純に考えることもできます。
しかし、子供のうちからそれらを考えずに過ごす子ども達は、今後社会で生きていく上で大切なことを学ぶ機会を逃したまま、成長してしまう可能性もあるのです。




待ち合わせをした際に約束の時間に落ち合うことができなかった時の不安。
「自分が場所や時間を間違えしまったのではないか?」
「友達が事故に遭ってしまったのではないか?」など

自分自身の行動を振り返り、相手のことを思いやる心。
わずか数分の遅れの間にも子供の頭には色々なことが巡り大人へ成長するのではないでしょうか。

 


また、子供が大勢通う塾の前は送り迎えの車で渋滞しがちです。
親子で携帯電話を持っていれば親の車の場所を知らせることができ
「ここまで歩いて出ておいで」と電話をすると大変便利だと思います。

しかし、携帯電話が鳴るまで迎えを気にせず友達とおしゃべりに夢中になっていることが、本当に「子供にとっての良いこと」なのでしょうか?


「指示があるまで動かない」これも時には大切な場面がりますが、「相手を思う心」を教える機会を逃している場合もあります。この「心を育てる」ことに注目をした場合、迎えに来てもらう立場からすれば外で様子をうかがいながら待つ、という謙虚な気持ちを子供の内から身近な間柄で体験的に学習することは成長過程においては重要なことであると思われます。

 

 合理的でないといった考え方もありますし、昔と時代が変わり危険も多くなり子供に携帯電話を持たせる必要性も否定はしません。しかし、こんな謙虚さが薄れているが為にネット犯罪のきっかけになってしまうこともまた否定できないのではないでしょうか。「相手を思う心」は人と人が付き合う上ではとても大切なことです。

 

合理性のみを考えれば、携帯電話があるからいつでも連絡がつくので、行き先や帰宅時間を家の人に伝えて出かけなくていいのかといった問いまで出てきますが、本来子供が身につけるべきことは、携帯電話の有る無しに関わらず、共通しているはずなのです。

携帯電話の所持の低年齢化によって携帯電話を持たせる前に多くのことを教えることは不可能になりつつあります。しかし、今までの時代では知らず知らずのうちに体験的に学習できた事柄が携帯電話を持つことで学習できなくなってしまうこと。そのことを前提に、別の場面で子供が学べる配慮が大人である親には必要となってきています。


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