30年先の日本を見据える必要性

30年先の日本を見据える必要性

 

25年ほど前にテレビゲーム機が発売され、当時の子ども達が"テレビゲーム世代"と呼ばれていました。
すると、さしずめ今の子ども達は"ケータイ世代"と呼べば良いのでしょうか?


このケータイ世代はいつまで増え続けるのでしょうか。
このケータイ世代が増え続けたとき日本はどうなってしまうのかと思うと、不安にならざるを得ません。

 

ケータイ世代がケータイ世界で行っている配慮に欠けた表現には不安を隠せません。
裸の写真を自ら公開したり、パートナーとの性生活を自慢話のようにブログに綴ることは、冷静に物事を判断しているとは受け止められません。

度々ニュースを騒がせる子どもの関与する記事を見ても「相手を思いやる気持ち」を十分持ち合わせていたら未然に防ぐことができたのではないかと思えることもあります。
もちろん、ケータイを利用する全ての子ども達に問題があるのではありません。

ただ、私達大人世代が育った時代には考えに入れずとも良かった現象が、子どもの生活に入り込んでいるケータイ世界には存在しています。そのことからは、目をそらしていてはいけないのです。

 

 

「人を思う気持ち」が薄れてしまった子供がそのまま大人になった時、将来、彼らの人間関係はどうなるのでしょうか?

ケータイ世代が親になった時、自分の子供にどれだけ「相手への思いやり」を伝えられるのでしょうか?

「思いやり」が薄れた時代が訪れるのでしょうか?

そこには、それに起因した社会問題が起きることはないのでしょうか?



かつて「新人類」と呼ばれ、驚くような考えを持った子ども達に対し当時の大人たちが持った「未知のものへの漠然とした不安感」。
その「新人類」が今の親世代にあたってもいますが、結果的にはそれなりの平和な日本があるじゃないか、と安心していれば良いのでしょうか?

 

親は、子どものケータイ世界、ネット社会の広がりをどのような目で見ていけばよいのでしょうか?

もし20年、30年前にインターネットの出現を予測して現在の親世代に教育が行われていたとしたら今のネット社会のような状況があったでしょうか?

 

 

「携帯電話は学ぶチャンスを失う」でも触れていますように、「相手のことに思いを巡らせ、考える気持ち」がこのまま忘れ去られてしまわないのか、そうした気持ちの大切さを、私達大人が立ち止まって考えなければいけないと思います。

 

21世紀、インターネットの浸透により前世紀では考えられなかった文化が生まれました。
この文化に対応できる教育を新たに考える必要があります。
それは学校にばかり任せるのではなく、地域を含めた学校と家庭のつがなりの中で子ども達を見守っていく必要があります。




ケータイの便利さから忘れがちなものを1つ1つ見つけ出し、子ども達に伝えて行かなければなりません。
その一つが「相手への思いやり」です。そして、ケータイを手にし、ケータイ世界に捕らわれることによって失われかけている「自分を見つめる時間」であり、それに伴う「自問自答すること」でもあります。
それらは、子供から大人へ成長する過程で時間を掛けて身に付けられることなのです。  




ケータイ世界に触れることにより、そうしたことを体験的に学習し身につけるということをしなくなってしまう傾向があります。
これは、携帯電話を子供のうちに持たせなければ大丈夫なのかといった問題ではなく、子供は、自身を取り巻く周囲の考え方に影響される可能性があるわけですから、大人が意識的に伝えるチャンスを設けなければならなくなります。

そして、親として、大人として、「自分は手本になっているのか?」と「自問自答」していかなければなりません。







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